ロサンゼルスで不妊治療                            卵子提供エージェンシーの体験記
                                              自分自身も不妊で悩み、代理出産という道を選択、女児を授かりました。    
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*卵子提供経験者、ともこのブログコーナーです*




「遠い所、わざわざ来てくれて、どうもありがとう。」
卵子提供エージェントのSさんは、
わたしに言った。




「あの〜、卵子提供について、
全く知識がないもので...」
と、わたし。




「大丈夫よ。わからないことがあったら、
なんでも質問してちょうだい。」




会話を進めていくうちに少しずつわかってきたことは、



卵子提供とは、


卵子提供者(このばあい”私”)の卵子を
採卵する


採卵された卵子を不妊治療を受けているご夫婦のご主人の精子と
体外受精させる


その受精卵を奥さんの子宮に移植する−ここで、妊娠できれば
めでたし、めでたし。



卵子提供者は、それに費やした時間、
ホルモン剤の投入などのリスクに対する
報酬として謝礼金をもらう




「あの〜、ちなみに、謝礼金というのは、おいくらなのでしょうか?」
と躊躇しながらきいてみた。





「$2,500よ。(約25万円)」とSさん。
ちなみに、これは、1996年当時の相場だ。
今現在の謝礼金の相場は、
この2.5倍くらいする。





$2,500とは、当時のわたしにとって
4か月分のアパートの家賃がはらえる金額だった。




エージェントのSさんは、治療にはいるまえに、




心理テスト
医学検査
弁護士を通した契約





などにパスすることが条件だとも説明してくれた。




やはり、人間の感情、医学、倫理、法律


慎重に考慮しなければならないことが
たくさんある。




Sさんは、不妊で悩んでいるカップルに対して、
お金には換えられない贈り物と言った。





もともと、日本をひとり飛び出してきたわたし。
なぜか、東京の人ごみからはなれて
自由になりたかった。





あの時「決断」をしたから
今の自分がいる。
これも新たな決断か。
リスクもある。




Sさんは、一通りの説明のあと、ふと





「来週日本人で採卵する女性がいるから、
彼女にいろいろ聞いてみたらどうかしら。
実際に体験した人の話を聞くと、参考になるわよ。」





と、その日本人女性の許可をもらって、電話番号をくれた。





Sさんの家をあとにして、その女性に早速電話してみた。

(つづく)
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*卵子提供経験者、ともこのブログコーナーです*




「ハーイ!(こんにちわ)」
ドアを開けた向こう側にたっていた
卵子提供エージェントのSさんは、
金髪、透き通るような青い目、
そして、細身ですらっとした品のある
40代半ばくらいの美しい女性だった。




「はじめまして。どうぞお入り下さい。」
「おじゃまします。」
通された家は、ロサンゼルス市の
閑静な住宅街にあった。




リビングルームに大きく飾られた家族の写真と
肖像画がやたら目についた。
インテリアも家具も美しくコーディネートされている。
さすが、昔プロのモデルだけあって、全てセンスがよい。




すると、隣の部屋から、きゃっ、きゃっと可愛い
よちよち歩きをしている二人の子供が
リビングルームに入ってきた。
エージェントのSさんは、「わたしの子供達よ。」と微笑む。




「ワー、かわいい」
その横でベビーシッターの女性が
子供達の手をひいてでていった。
ちなみにこの子供達も、
実は卵子提供代理出産で授かったらしい。




リビングルームを通りぬけて入った部屋は、
彼女のオフィスになっていた。
やっぱり緊張する。
でも、今がチャンス。
わからないことは全部聞いておこう。




ソフャーに座ると不思議と緊張感が和らいできた。


(続く)
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*卵子提供経験者、ともこのブログコーナーです*


「わあ〜きれいな女性(ひと)。」


卵子提供エージェントのアメリカ人Sさんから
送られてきた書類のなかに
彼女のプロフィールが入っていた。
そのプロフィール中の彼女の写真に視線をあてた。



白黒のコピー書類に映し出されたSさんの写真は、
高級ファション雑誌のページとおもわれる。
彼女は、昔プロのモデルだったのだ。
写真の印象だと、1970年代後半のものとおもわれるが、
黒のイブニングドレスをまとった彼女は、
タキシード姿の男性モデルと華麗にポーズをとっている。




(売れっ子のモデルだったのかな〜?)
とひとり想像をめぐらせる私。
なんで、モデルから卵子提供のエージェントになったんだろう?




後で、わかったことは、彼女自身、結婚後、こどもに恵まれなくて、
卵子提供、そして、代理出産で子供をさずかったらしい。
ひぇ〜すごいな。アメリカって。行動力と合理主義は、
この国のお得意分野だ。
このビジネスを始める前は、大学にもどって、
心理学者のライセンスまでとっているから、徹底している。




ほかに同封していた、不妊や、卵子提供関連の
記事も一応目を通してみたが
全部英語でかかれたその書類はなんだか複雑でよくわからない。
電話より、まだ、ましか... (ひとりため息。)



(やっぱり、一度会って話を聞いてみよう。)
その後、Sさんにもう一度電話をかけ、
「○月×日、□時」とお互いのスケジュールを調整して
彼女と面接をする予約をとった。



(続く)

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卵子提供経験者、ともこのブログコーナーです*



「ハロー」
電話口の相手は女性だった。
「あの〜、R紙の求人広告をみたものなんですが。
卵子提供に興味をもって...」
会話は、こんな感じで始まった。




そのアメリカ人の女性はSさんと名乗った。
卵子提供のエージェントをしていて、
アジア人の卵子を提供してくれるドナ−を探しているという。
他の人種と比べると、やはりアジア人のドナーは少ない。




卵子提供とは、どういうことをするのでしょうか?」と聞いてみた。
すると、彼女はいきなり早口で
ダダダダダーと話し出した。
(だっ、だめだ。彼女の英語がまったくわからない。)




英語といっても、会話に使う英語と専門用語、とくに
医療用語は次元が違うことにあらためて納得し自己嫌悪。
彼女の説明が「リズム感のある音」にしか聞こえない。
日本語だったらわかるのに... ショック。




「すみません。資料おくっていただけますか?」
区切りのいいところで、思い切って切り出した。
「わかったわ。」と彼女はあっさりと言った。




当時は、インターネットも普及していなく、
わたしは、卵子提供の情報を簡単に調べるすべさえ知らなかった。
とにかく、資料を読んでみよう、そう思い電話をきった。
あ〜緊張。





日本で普通のOLをへて、
「脱OL」という当時のはやり言葉に誘われるかのように、
一人渡米したわたし。大人になってから習った、
ネイティブの英語の発音についていけなく、
どうしても、「ニホンゴ英語」になってしまう。





数日後、大きな封筒が送られてきた。
Sさんからのものだ。
封筒をあけて、卵子提供の資料とともに添付されていた、
Sさんのプロフィールを見ておもわず目を疑った。

(続く)

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*卵子提供経験者、ともこのブログコーナーです*


卵子提供者求む」
その時、この英語で書かれた小さな求人広告に目が留まった。
1996年の夏。


確かに2つ目の仕事をさがしていた。
ただ、昼間の8時間の仕事をおえた後に
働くとなると、5歳の子供と過ごす時間は皆無。



自分で選んだシングルマザーの道なのに、
いざ、アメリカで自立して、子供と二人暮らしを始めると、
現実という冷たい風においやられる。



今月のアパートの家賃どうやって工面しようか...
経済苦
子供との時間
ジレンマ。



「神様、助けてください。」心の中で叫んだ。
自分に都合のいいときだけ祈るんだね、と
「もう一人のわたし」が皮肉る。



ダイニングテーブルの上の新聞
求人広告
なんだろう?”エッグドナー”って? (卵子提供者
謝礼金ありとかかれている。



好奇心とせっぱ詰まった気持ちが
追い討ちをかけるように、
電話を手にした。



(続く)

プロフィール

Miracle Baby

Author:Miracle Baby
サイトをご覧になってください。http://miraclebaby.us

アメリカ在住16年 ロサンゼルスで卵子提供のエージェンシーをしています。自分自身も不妊で悩み、代理出産という道を選択、女児を授かりました。「こんな私でもこんな難しいことが出来た」のです。

私の不妊治療ー代理出産体験談と、今の仕事を始めたきっかけをお話しています。 2月1日、8日と2週に分けお話しています。 ネット放送で聞くことが出来ます。

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